2014年12月07日21:04
地域防災訓練≫
カテゴリー │思いつくままに
今日は、県内各地の自治体で「地域防災訓練」が実施されました。私の住む磐田市豊浜地区でも、午前中に、小学校屋上への避難訓練などが行われました。
予想される東海地震の震源域は、東北の震災と違って、静岡県の西側半分が上に載っている状態、つまり、住んでいる足元にも震源域があるのです。その結果、大きな揺れの直後に津波がやって来ることになります。

写真は、避難した小学校の屋上から見た小笠山方面です。ふだん、クルマで走れば10分足らずで行けるのですが、ここまで避難する余裕はありません。山裾のあたりでも、海抜4~5mしかなく、最悪、ここまで津波が到達する可能性も考えられます。
先日会った地元の古老は、「どんなに高く強固な海岸堤防を造っても、川を遡る津波を食い止めることはできない。」と言っていました。3年前、東北地方を襲った津波は、大きな被害を残した北上川では、河口から49km上流の登米市まで達したそうです。
2年前に訪れた石巻市内の北上川沿いの様子は、豊浜地区のすぐ西側を流れる太田川の景色とダブって見えました。

昭和61年に、静岡県がまとめた160年前に起きた「安政東海地震の地震・津波報告」によると、太田川河口の津波の高さは6mとされています。3年前の震災後、国が出した南海トラフ周辺の地震によって起きる津波の想定は、最大で10mを超えると言われています。これでも遠州灘沿岸では、海底の地形の関係からか最も低い値になっています。
やはり、可能な限り逃げるしか手がないようです。
→ 関心のある方は、こちらから 安政東海地震の資料(PDF)
古老は、「太田川本流があふれるよりも前に、地区の南側を流れ、河口近くで合流する前川からの越水が始まり、豊浜から袋井市南部(旧浅羽町:幸浦地区)にかけての地域の津波被害はまぬがれない。隣の市が造るから磐田市でもと言うわけではないだろうが、堤防に過大な期待することは疑問を感じる。」とも言っていました。

上の写真は、豊浜地区を流れる前川ですが、水面からの高さは3~4m(その時の潮位によって)しかありません。ここからの越水について、磐田市の資料では「津波で浸水する地域は国道150号線まで」とされていますが、わずか数百mで海抜で2~4mと差がある国道で、地図の上に線を引いたように津波が止まるとする市の説明は、簡単に鵜呑みにはできません。
最終的には、起きてみないと結果は誰にもわかりませんが、自然に畏敬の念を持って接して行くということしかないのでしょう。
予想される東海地震の震源域は、東北の震災と違って、静岡県の西側半分が上に載っている状態、つまり、住んでいる足元にも震源域があるのです。その結果、大きな揺れの直後に津波がやって来ることになります。

写真は、避難した小学校の屋上から見た小笠山方面です。ふだん、クルマで走れば10分足らずで行けるのですが、ここまで避難する余裕はありません。山裾のあたりでも、海抜4~5mしかなく、最悪、ここまで津波が到達する可能性も考えられます。
先日会った地元の古老は、「どんなに高く強固な海岸堤防を造っても、川を遡る津波を食い止めることはできない。」と言っていました。3年前、東北地方を襲った津波は、大きな被害を残した北上川では、河口から49km上流の登米市まで達したそうです。
2年前に訪れた石巻市内の北上川沿いの様子は、豊浜地区のすぐ西側を流れる太田川の景色とダブって見えました。

昭和61年に、静岡県がまとめた160年前に起きた「安政東海地震の地震・津波報告」によると、太田川河口の津波の高さは6mとされています。3年前の震災後、国が出した南海トラフ周辺の地震によって起きる津波の想定は、最大で10mを超えると言われています。これでも遠州灘沿岸では、海底の地形の関係からか最も低い値になっています。
やはり、可能な限り逃げるしか手がないようです。
→ 関心のある方は、こちらから 安政東海地震の資料(PDF)
古老は、「太田川本流があふれるよりも前に、地区の南側を流れ、河口近くで合流する前川からの越水が始まり、豊浜から袋井市南部(旧浅羽町:幸浦地区)にかけての地域の津波被害はまぬがれない。隣の市が造るから磐田市でもと言うわけではないだろうが、堤防に過大な期待することは疑問を感じる。」とも言っていました。

上の写真は、豊浜地区を流れる前川ですが、水面からの高さは3~4m(その時の潮位によって)しかありません。ここからの越水について、磐田市の資料では「津波で浸水する地域は国道150号線まで」とされていますが、わずか数百mで海抜で2~4mと差がある国道で、地図の上に線を引いたように津波が止まるとする市の説明は、簡単に鵜呑みにはできません。
最終的には、起きてみないと結果は誰にもわかりませんが、自然に畏敬の念を持って接して行くということしかないのでしょう。